コラム せとうち

表紙・目次
抜粋記事

 三つの橋が架かり高松が四国の表玄関であり、中枢管理都市である存在感もいささか怪しくなってきた。
 それにしても県都高松には何か一つ欠けるものがあった。それは言わずと知れた本格的シティホテルである。しかも、高松の広告塔としての役割を果たしてくれるようなすばらしいホテルが欲しかった。今更言うまでもないことだが、松山市には松山全日空ホテル、徳島市には徳島プリンスホテル、高知市には高知阪急ホテルと言った具合に、ネームバリューのあるホテルが一つの象徴的存在になっていた。特にコンベンションシティを標榜しながらも、つい最近までそれが叶わぬ夢であった。
 ところが平成13年5月24日、待つこと久しやっと鶴首の思いで期待の高かった全日空ホテルクレメント高松がオープン。高松の価値観は一気にヒートアップしたのであった。
 JR四国が運営母体となり、サンポート高松の核的位置として華々しく開業して、ようやく溜飲を下げることができた。長い間肩身の狭い思いをしてきた人々も、これで胸を張って会議やパーティを開催することができるとあって、その期待感は大きく膨らんでいったのである。
 そして早くも二年を経過した。
 いままで不可能だった大型のパーティや会議、ブライダル需要も消化して、順調に軌道に乗ってきた。開業を約一ヵ月繰り上げた関係もあって、当初は部分的に試行錯誤も見られたものの最近はすっかり流れも良くなり、ユニークな企画力とも相まって安定した運営を行っている。
 さて立ち上げに四年間尽力していた相談役の宮本盛治氏(開業時から二年間は総支配人)が退任、東京へ帰られた。
 しかし、生粋のホテルマンであり豊富なキャリアと識見を持つ人財の智力を今後とも生かすべく、四国エリア内にある四つのホテルの顧問をお願いした。もともと宮本氏をスカウトした名伯楽である梅原JR四国社長の粋な計らいでもあった。
 7月3日に行われた送別パーティで「今後とも可能な限りお役に立ちたい。発展を心からお祈りしている」
 と宮本氏はお別れではなく永続的な協力を約したのであった。
 地方都市におけるシティホテルの立ち上げ、経営は想像以上に厳しい情勢であるが、これを可能にするのはやはり人財である。梅原社長は全くの素人集団であるJRマンの活用も踏まえ、中核にはホテル業務に精通した秀逸の人財なくしてありえない、と宮本氏をスカウトした。
 この人財ネットワークによって、全国から、いや世界中から選りすぐった各セクションの人間を集めることができた。社員、パートを含め約200人のスタッフを駒のように動かすためには、強力なリーダーシップもさることながら、ホテル業というサービスのすべてを熟知した人財がいるかいないか、これですべてが決まる。梅原社長の狙いはピッタリだ。
 もう一つの相乗効果は、香川と言わず四国全域のホテルその他のサービス業に、有形無形の改革を迫りいい意味での競争力を生んだ。
 業革なくして競争はありえない。
 潜在的なパワーも引き出せる効果もあり、人の横の流れによってやり甲斐のある環境も生まれるなど、予想外のプラス効果もあった。

素人集団も見事ホテルマン

 「ホテルマンのホの字も知らないJRマンが、なんとかその顔になってきた」
 いみじくも梅原社長が席上述べていたが、総支配人の一色 勉氏は本来の持って生まれたキャラクターもあってか、転向の臭いを感じさせないホテルマンになり切っていた。二年目から宮本氏のフォローを受けながら、総支配人として見事に自立しているのはすごい。松田清宏社長との呼吸も合っているので、今後の運営には新しいコンビによる新生面の開拓が期待できる。
 新装成ったJR高松駅へ降り立った県外からの乗客は、異口同音に巨大ホテルに驚くとともに、その北側に建設中のシンボルタワーの威容に対し率直に感嘆の声をあげている。
 広告塔としての役割は非常に大きいものがあるが、今やサンポート高松など駅周辺の象徴的存在として、映像化され一際光彩を放っている。
 今後の課題としては、地元の利用客を常時増やすとともにホテルを親密に活用する機会を多く与えて欲しい。ハード面以外の小技は今一歩。
 特にお客さんに接する機会の多い最前線の接客教育とチェックを強化するべきであろう。それと企画力。
 要はホスピタリティがどこまで実践できているか。この一点にかかる。
 スキルアップ如何によってもっと集客も増加するし、売上アップも可能だ。ホテルを利用したあとほのぼのと胸中に満足感が広がってくるようなまごころのサービス。
 クレメントらしい特徴をもっと強烈に発揮することが、勝ち残りの道。(本誌編集長 中西 稔)

   
Copyright2000(C)Kagawa Keizai Report All Rights Reserved.