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讃岐うどんブームが目下大ブレイクしているが、全てが繁昌店であるわけではない。毎日多くの麺ファンが押し寄せる田園地帯には、空き地に車の列がひしめき、ご近所の方々に大迷惑を掛けているようだ。生活道路が満足に使えない"うどん公害"なるものも発生し、部外者には大迷惑のうどんフィーバー現象となっていることを知って欲しい。
「儲かっているのはうどん屋だけ」というやっかみ半分の声も多くあり、うどん狂想曲も混戦状態だ。
"我が世の春"を謳歌するうどんブームも、ごく一部の有名店、人気店以外は閑古鳥が啼いている店もあり、このあたりも悲喜こもごもといった表情をみせている。
かつて銘店「かな泉」の創業者である泉川 賢氏は「なんとなく薄汚れたうどん屋のイメージでは、讃岐名物としてふさわしくないし接待用にも使えない。県外客を迎えるためにも、グレードの高い品格のある店を作りたい」として、相当な経費を投入して上品でお洒落な店を作った。設計・施工も、業界では第一人者と言われる寒川商業建築研究所に委嘱して、当時は大いに話題となった。
その典型的な高級店が高松市美術館西側にある「かな泉紺屋町店」である。ぜひ一度訪ねて欲しい。
「これがうどん店か」
とびっくりする位レベルの高い小粋ないい店である。
いまは泉川氏も功成り名を挙げて引退し、辻 洋三氏が社長となり、その精神は継承されている。
高松・ライオン通りにある「川福」も同じ創成期のご苦労を先代がこつこつと努力して、やっと今日の信用と繁昌を築き上げたのである。
先代の夫人である竹川みどりさんが頑張ってこられたが、今は娘の河成いつ子さんが社長として川福の暖簾を守っている。
やや細目のうどんは底固い人気を持っており、県外客にファンは多い。
「さぬき麺業」は、やはり先代の香川政義氏が"手打ち免許"というコンセプトで、こだわりを持ったうどんづくりに精進してきたが、あっけなく旅立ってしまった。
長男の政明氏が親爺を上回るばかりの情熱を傾け、神戸、広島にも店舗展開、地元では「うどん教室」の講師として後進の指導に骨身を惜しまない。父親の血を引いたのか囲碁にもメキメキ腕を上げ、英子夫人ともども忙中閑の時間は対局に使っている。現在組合の理事長としても活躍中。
「第二回さぬきうどんグランプリ」では、5名のうどん職人が受賞するという離れ業を演じた。
こうした蔭の努力がうどんの質をしっかり支えているわけである。
元旦の新聞を見た人はびっくりしたことだろう。読売・日経新聞全国版に全頁広告を出したのが石丸製麺(株)。石丸芳孝社長を中心に全社員が一堂に並び、バックには香南町にある本社工場の全景が入っている。
「創業百周年 うどん一筋にかける誇りと情熱 次の百年へ」
キャッチコピーも百年から百年への継承を謳っている。
年商二十億円という全国ネットの巨大麺企業を築きあげた石丸社長は71歳、今年で最後の幕を引く。
好調な売れ行きで笑いの止まらない好環境の中で、長男に継承して次の時代を築いてもらうことになる。
同社内にある「さぬきうどん工房」と工場見学コースには、先駆者としての自信が満ちあふれていた。
さぬきうどん流の人間交流を
現在のやや過剰とも思えるうどんフィーバーを見るにつけ、草創期に苦楽を共にしてきた人たちの熱い思いに、胸が痛くなるのを覚えた。
本格的うどん懐石を提供する「郷屋敷」は、三野社長の信念で付加価値の高いうどん料理に仕上げ好評だ。うどんの価値観と品格を高める努力を黙々と実践しているのは立派なことといわねばなるまい。
一朝一夕にできたブームではなく、長い讃岐に住む人たちの歴史の中に刻み込まれた足跡が、今日のしっかりしたさぬきうどんを生んだ。
勤勉でコツコツ努力をする、決して派手ではないが堅実無比の讃岐人独特の人間性を、うどんづくりの中へ端的に生かしている。
細く長いおつきあいもうどん流の生き方で、うどんを打ち食べることで近所や親戚の人たちとの交流も果たしてきたのである。
つまりうどんこそかけがえのない、コミュニケーションに最適な食材であった。うどん流の生き方こそ今の人間砂漠には一番必要なのかもわからない。
東京でも大阪でもうどん店が増えているが、それぞれの店がうどん文化を育てるとともに、枯れつつある人間交流の場を取り戻すよすがになってもらえれば、香川県にとっても大いなる誇りとなるだろう。
"癒しの郷香川"をもっとアピールするとともに、生みの親、空海の存在も幅広く知って欲しいものである。(本誌編集長 中西 稔)
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