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香川のキーパーソン

インフルエンサー 田村 純麗さん

「第二の故郷でもある香川県の魅力をもっと多くの方に知ってもらうために、今後も情報発信に努めていきたい」
 笑顔を見せながら話すのは、モデル・インフルエンサーとして活躍する田村純麗さん。
 田村さんは、幼少期の一部をシンガポールとロンドンで過ごし、幼い頃から国際的な環境に身を置きながら、異文化への理解と適応力を養ってきた。
 その後、日本に帰国。兵庫県で小学校から高校までの教育を受けながら、子役として朝ドラや大手CMに多数出演し、全国的な知名度を得ることとなった。
 大学進学とともに香川県に移住。「芸能は夢であり趣味でもある」と話し、「自身を自己表現できる最大のツールであることから芸能活動を続けていきたい」という想いから、大学生活を送りながら、フリーのモデルとして新たなキャリアをスタートさせた。
 「元々は人見知りな性格で、四国の歴史も詳しくなく、人間関係を一から築くことに不安もあった」と振り返りながらも、「全力で前に進んでいるうちに、いつの間にか香川が好きになっていた」と微笑む。


 持ち前の明るさと国際的なバックグラウンドが評価され、2021年には香川県観光大使として就任。2年間にわたり香川県の魅力を国内外に発信してきたことに加え、ラジオパーソナリティーやCM、雑誌・ポスターの表紙を飾るなど、地元企業やブランドとのコラボレーションを通じて、地域経済の活性化にも貢献している。
 現在は、学業にも注力しながらインスタグラムなどのSNSプラットフォームを活用し、コスメや県産品、飲食店の紹介に注力。洗練されたセンスと誠実なレビューで、多くのフォロワーから信頼を得ている。
 「香川には、まだ知られていない多くの魅力や可能性が秘められており、それを引き出すことで地域全体が活気づくことができると考えています。香川の皆様とともに地域を盛り上げ、未来を共に創りたい想いは私自身の強みですので、お気軽にお声がけ頂ければ幸いです」(田村さん)
 今後は、「英会話の強化を図ることと、心理士の資格を取得することで、自身のキャリアに繋げていきたい」と向上心は増すばかり。
 国際的な視点と地域愛を持ち合わせた多様な活動が、多くの人々にインスピレーションを与え続けることに期待が寄せられる。


㈱高松ホットスタンプ 代表取締役社長 杉山 俊行氏

 看板の企画デザインから製造、施工まで担う一貫体制を整え、ゼネコン、地元有力企業から高い評価を得る同社。
 創業者 杉山忠重氏から長男国人氏へ引き継がれ成長を果たし、53期に突入した今月1日付けで、忠重氏の孫で、前社長の甥にあたる俊行氏が新社長に就いた。
 1992年生まれ31歳という若き3代目トップの誕生だ。
 出身は高松市。高松商業高から岡山大学経済学部に進学。小中高と水泳を続け、大学ではボート部に所属、心と身体を鍛えた。 学卒後、エネルギー系の商社で法人営業担当、半導体メーカーのISO担当部署に勤務。他業界での社会経験を経て2020年4月に高松ホットスタンプ入社。
 経営管理室、営業の現場を経験、1年前より副社長を務めた。
 順風に4年が過ぎたわけではない。今も鮮烈に記憶に残るのが、品質不良による大きなクレーム。
 結果として、クレーム対応の陣頭指揮を執り、全社を挙げて解決したことは、人間としてひとまわり成長し、社内はもとより得意先から認められる機会となった。


 「前経営陣からは今を大事にしながらも、デジタルやIT化の推進、多様化する感性に応えられる体制づくり等、若い力で変革を期待されていると感じている。
 私たちの事業は、街づくりの一翼を担えるポテンシャルがあり、常に全力で向き合いたい」
 営業、管理、工場の3部門があり、現在の社員数は53名。50代のベテラン・中堅社員が多く、技術の継承は課題のひとつ。また、各部門で将来自身の右腕となる若いリーダーの育成も時間をかけて取り組む課題となる。
 2年前から半年に一度、社員と個別面談の場を設け、意見を交わすとともに、社員の気持ちの変化に気付けるよう努める。
 「経営陣と社員の垣根は作りたくない。
 今年は経営理念を変更する予定。明確な指針を言葉にして、全社で目指す位置を示したい。 
 まずは、今をどれだけ磨き、高めていけるか挑戦したい」
 趣味はキャンプに旅行と、かなりの行動派。


(株)ビショップ 代表取締役 中北 悦道氏

 出身は丸亀市。関東の大学を卒後、大手電機メーカーに就職し淡路島でSEとして45歳まで勤務。
 10年前に早期退職し帰郷。実母の玲子さんと同じオッペン化粧品に携わる。
 「母は、愛情を注いで育て上げたオッペン営業所を、家族に継いでもらうことが夢だった。母が体調を崩したタイミングで、夢を叶えてあげるため覚悟を決めた」
 玲子さんは今も丸亀市の三条営業所長を務め、傘下にある30以上の営業所をフォローしつつ、営業成績は全国トップクラス。
 「オッペン本社、傘下の営業所長に認めてもらうために、自分の力で営業所を立ち上げて評価してもらいたい」と、地盤のない高松でオッペン化粧品ビジョップ営業所を設立した。
 全国にオッペン営業所長は約千三百名いるが、男性は僅か数人。女性中心の美容業界で不安を抱えながら、縁もゆかりもない高松市で独りぼっちの挑戦がはじまった。
 この時、知人に紹介されて出会ったのが、香川県中小企業家同友会で、2016年2月に入会。
 今年4月の高松第1支部総会で支部長に就任した。


 「今期のテーマは、活気溢れる支部で共に成長しよう、と掲げた。第1支部には約百七十名の会員がおり、支部長として日々、大変貴重な経験をさせてもらっている」と感謝の言葉を口にする。
 「同友会活動で、常に意識しているのは、自社を良くするために活動しているということ。
歴代の先輩支部長達がそうだったように、支部長を経験し、これだけ本業を拡大させたと報告する姿を、後進に示したい」
 業績拡大のため、定期開催のイベントでコミュニティ強化、男性向けスキンケア教室など、ビショップファン拡大に努める毎日だ。
 「将棋は盤面を考え、最善と思った手を指すが、相手は自分が想定する手を指してくれないため、その都度対応が必要となる。普段の経営、生活も同じで、環境の変化に応じて、理念は変えることなく、戦略的な部分は臨機応変に行動している」
 将棋は、かつてプロ棋士を目指したほどの実力で経営にも将棋の考え方を生かす。
 1969年6月5日生まれ、まもなく55歳を迎える。


あきこきっちん 赤川明子さん

 「料理やお菓子作りの世界では、予想外の出来事にも臨機応変に対応する力が求められます。私は小さな頃から台所に立つことで、そういう人生にも通じる力を学んできたように思います」。
 生き生きとそう話す赤川さんは、4児の子育てと並行して、国産有機小麦粉使用・農薬不使用のパン店を毎週木曜日に営業。さらにパン・料理教室や各種イベント企画等を通じて、『食』の学び場を幅広く提供している。
 初めて台所に立ったのは、箸を持つよりも前のこと。料理と菓子作りが趣味の母と、台所に立つ時間が大好きな子どもだった。
 大学で栄養学を学び、卒業後は複数のケーキ店に就職。フランス留学も経験したが、体調を崩し24歳でケーキ作りの道から離れた。ガラリと職種を変えて始めた保育の仕事にやりがいを見出しつつも、一方で母親達の食に対する意識の低さが気になっていた。
 そして自身の結婚・妊娠を機に、改めて食の勉強を再開。「子どもは母親が食べたもので育つ」だからこそ「体に良い食べ物を選びたい」という思いが募っていた。


  やがて、3人に増えた子どもを育てながら保育士として働いていると、趣味で通っていたパン教室の仲間を通じて、市民シェフの依頼が入る。素材を生かした安全性の高いパンは評判を呼び、数度のイベント出店を経て、実店舗のオープンへと至った。店は5年目を迎えるが、「パン屋さんをやることが目的ではない」と赤川さんは言う。
 「食べる喜び、作る楽しさ、そして食の大切さを伝えること。食で世界を救うことが、私の目標です。例えば必要な栄養素が足りず、集中力が減ってイライラする子どもは増えています。子ども達の食を改善するためには、セミナーなどを通じてお母さん達の知識を広げることも必要です」
 悩める母親達の相談に乗ることも多い。「何かを始めたい。今の生活を変えたいと思う方の相談をたくさん受けています。私も悩んでいた時期があるので、そういう方にはあなたの可能性は無限大だよ、と伝えていきたいんです」。
 いつかもう一度フランスへ行って、ケーキではなく、パンを売るという夢もあります。笑いながらそう宣言する姿は、いかにもしっかりと前を向いて、「輝く女性」であった。


㈱穴吹工務店 代表取締役社長 竹本 勝氏

  横浜国立大学 工学部を卒業し、1987年穴吹工務店入社。
 ものづくりの会社を志望しており「生まれ育った香川県の会社で親しみがあり、一番面白い仕事ができそう」と同社を選んだ。
 翌年には、同社高松本社ビルの施工を担当。本社竣工後に研究開発の部署で技術や商品開発を務めた。作品企画部長(東京)、高松支店長、事業推進統括部長、東日本支社長などを歴任。
 2017年4月から5年9ヶ月は、大京に出向。イノベーション推進部長、仕入管理部長を経て、今年1月、穴吹工務店取締役に就任。
 6月22日より現職。挨拶回りはほぼ一巡したが、建築材料の高騰など、取り組む課題は多く、落ち着く暇はない。
 「県外から見て魅力的な立地だとしても、地元の方の評価はどうなのかが大切。分譲マンション開発にあたり、全国の地域と繋がり、それぞれの地で地域密着をしている当社が一番大事にしているポイント」
 この考えが、現在同社の成果として表れていると言えよう。


 また、分譲マンション事業がメインだが、全国の用地情報を生かした不動産活用ビジネスは今後も積極的に進めていく。
 「環境変化が激しい時代だが、外部の目を持ち柔軟な対応、そして変化を恐れないことが大切。
 デベロッパー機能と、ゼネコン機能を併せ持ち、用地取得から設計施工、販売、アフターまで自社の一貫体制が当社の強み。
 この強みをブラッシュアップすることが与えられた仕事」と役割を分析。
 10年トップを務めた徳田前社長が会長として全面サポートしてくれていることは、大きな安心感に。そのおかげで、気負わず自分のペースで組織づくり、成長戦略に取り組めると話す。
 朝晩や通勤時、休日に歩くことを意識。日々2時間程度はウォーキングし、健康管理に努める。
 1965年1月3日生まれ。58歳。
 ㈱大京 執行役員兼開発事業本部副本部長兼務。