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香川の経済界トップ登場

【平井タクシー㈱】代表取締役社長 三浦一也さん

この度のM&Aにより、三浦氏が同社の平井大資前社長より代表権をバトンタッチ、タクシー業界入り。トップに就任した。
当初は戸惑いや迷いもあったが、あなぶきトラベルでの26年間、営業一筋でやってきたこともあり、自身の経験を新たなステージで発揮できることに意欲を燃やしている。
「当面は、あなぶきグループと連携しながら業務を密なものにし、従業員の収入面の向上や職場環境の良好化にも繋げていきたい。
また、昨今におけるサービス業は至れり尽くせり。従来にはなかった新たなカラーを出していき、地域のお客様から愛される会社づくりに注力したい」
と力強く語る。
県内の上得意先を守りながら、新たな得意先の獲得を目指していく方向性だ。

 


【四国化成工業㈱】代表取締役社長兼C.E.O. 玉城邦男さん

同社は創業七十周年を10月に迎える。昨年6月、社長に就任した氏は昨年度からスタートした新経営計画(中期経営計画2019)の第一期に手応えを感じている。
「最重要戦略である、一定の収益を見込める新規コア製品の開発が化学品・建材ともに進んでいる。世界市場で準備を進めてきた製品もあり、今後の展開が楽しみだ」
プリント配線板向け水溶性防錆剤タフエース(世界シェア一位)、ラジアルタイヤの必須原料・不溶性硫黄(世界シェア二位)、プール殺菌剤の塩素化イソシアヌル酸(国内シェア一位)などを擁しながらも新製品開発に余念がない。
その背景にあるのは危機感だ。
「世界規模での市場の変化の早さと、ライバルが当社に追いつくスピードは年々加速している。危機感が、営業部門と開発部門が一体となり、独創力のある製品を生みだそうという開発意欲の源泉となっている」

 


【川鶴酒造㈱】製造部 製造責任者 統括リーダー 藤岡美樹さん

酒造りの現場は、昔から 〝女人禁制〟という仕来りが長く蔓延ってきたが、女性が社会進出し活躍する現代にあって、その慣習も少しずつ過去のものとなりつつあるようだ。
三重県松阪市出身。東京農業大学を卒業後は、奈良県、神奈川県などの酒蔵で酒造りに携わっていたが、川人裕一郎社長が大学の先輩という縁から平成19年、川鶴酒造に入社。
故郷を離れ、酒造りに情熱を燃やす〝移住者〟でもある。
ひたむきに酒造りに取り組む姿勢や貪欲に学びを深める熱心さが評価され、昨年10月からは製造責任者に抜擢。
二児の子育ての真っ最中ではあるが、パートナーの理解・協力も原動力となって、「川鶴の伝統を守りながら、より洗練された美味しい酒造りに全力を捧げたい」と口元を引き締める。
入社後の活躍は蔵の誰もが認めるところで、「日本酒ファンの拡大に繋がれば」と、地元の産物と日本酒を融合させたリキュールの開発にも腐心。

 


【㈱エブリイ】店舗部四国地区統括兼高松レインボー店店長 梶原真司氏

「香川県は特に青果物の鮮度が抜群ですね。うどんも旨い!最初は戸惑いもありましたが、人の良さもあってすっかり慣れました」
広島資本のスーパー・エブリイが昨年10月、四国に初進出。1号店は高松市に構えた。
エブリイといえば、青果と魚は朝仕入れて即売り場に。肉は切り立て挽き立てを。惣菜やベーカリーは出来たてアツアツで。国内では類のない「超鮮度」が売りだ。
商品はもちろん、同社は「人(社員)の鮮度」にも注力。人と人との関わり方を学ぶ教育制度を取り入れ、スタッフ全員の人間力にも磨きをかける。
「おかげさまで売上は好調です。まだまだエブリイらしさを出し切れていないところもあるので、お客様との会話を大切にしながら〝高松流〟に変化させていきます」
振り返れば大学を卒業後、他社のスーパーで11年間勤務。このうち7年間は店長を歴任した。「とにかく何でもやりました。でも指示通りに動くだけの毎日。やっぱりどこか物足りなさがありまして」

 


【香川シームレス㈱】代表取締役社長 金地祐一郎氏

先代の金地行雄氏(現会長)からバトンを受け、昨年4月に就任。「会社が50周年、先代が社長に就任して30周年という節目であり、数年前からそんな予感はしていた」と、自然体で挑めることは何より心強い。
要所では会長のサポートを仰ぎながらも、社員や本社工場長である実弟の晃司氏らと若い感性をフルに発揮しながら、市場の縮小が懸念されるレッグニット業界で強い存在感を確立していく決意だ。
学卒後は帝人商事(当時)に入社。商社マンとして居心地も良かったが、2003年に香川シームレスに大きな転機が訪れる。当時OEMで90%の売上を占めていた主要取引先が民事再生法を適用。「父がコツコツ育て上げてきた会社」の屋台骨を揺るがす一大事に心の葛藤は続き、「少しでも力になれることがあるのでは」と入社を決断したのは30歳の時だった。
業界はストッキング離れや生足ブームでピーク時の四分の一程度にまで規模がシュリンク。OEMを主体とする事業展開には限界を感じ、一念発起して自社企画・開発商品の拡充や東南アジアへの輸出にも注力してきたことが失地回復への胎動となった。