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11月5日号

 6月に閉店した天満屋ハピータウンレインボーロード店(高松市伏石町)跡が、㈱ヤマダ電機による「テックランドNew高松レインボーロード店」として11月1日再開した。
 ヤマダ電機のオープンに先立つ10月25日には、主力テナントの一つである24時間食品スーパー「ハローズ高松レインボー店(本部=岡山県)」がオープン。9時の開店前には、雨天にも関わらず買い物客が列をなし、好調な滑り出しを見せていた。
 25日の開店式典には、ヤマダ電機十河英俊店長、ハローズの佐藤利行社長および高橋雅樹店長、施設を所有する㈲センターコア高松の北川義浪社長、関係者らが出席して新店舗の開業を祝福した。
 二階建ての店舗跡のうち、一階のほぼ半分、二階の三分の二にヤマダ電機(店舗面積約1500坪)が入店。一階の半分に24時間スーパーのハローズ(同640坪)が、二階の三分の一に百円ショップのダイソーがテナント出店している。


10月25日号

 高松天満屋(高松市常磐町1-3-1)が来年3月末で閉店を決めた。18日、親会社の天満屋(岡山市 伊原木省五社長)が発表した。
 2001年9月に開業。コトデンそごう破綻後、高松市内中心部の南エリアの核施設として期待されてのオープン。
 売り場面積2万8千㎡という都心型の巨大百貨店として、開業当初こそは順調に業績を上げていたが、ここ数年は長引く不況に加え、高松三越と再開発の進む丸亀町商店街の北部エリアに集客面で水をあけられ、ゆめタウン高松やイオン高松など業態の異なる郊外型大型ショッピングセンターとの競争も激化。ピーク時に151億円を計上した売上高も2012年度は89億円あまりにまで低迷していた。
 定期的な催事展開に、リニューアルによるテナント入れ替え、高松天満屋によるFC店 高松ロフトなど雑貨も充実し生き残りを図ったが、状況が好転する見通しが立たず撤退の決断に至った。


10月15号

 4年に一度開催をする「高松国際ピアノコンクール」。第3回開催を控え、このほどコンクールの応募申込状況とチケット販売について発表された。
 2013年4月1日~9月20日まで受け付けた出場申込者は20の国と地域から計238名。うち日本人は145人で在住国別では122人が日本。年齢別では29歳の20人が最も多く、下は15歳から上は34歳まで。
 日本人の出身地別申込数では、東京都の21人が最も多く、続いて香川・神奈川県の11人。在住地別では東京都の45人が最も多く、海外も24人いた。うちドイツが11人と最も多い。
 課題曲をDVDに録画録音したものを提出しており、12月に予備審査通知がなされる。
 コンクールは予選が再来年(2014年)の3月12日~14日まで第一次審査、40名に絞り込む。3月16日・17日に20名が第二次審査に選出、3月19日貉に10名が弦楽合奏と共演での第三次審査。3月22日貍に5名が瀬戸フィルハーモニーオーケストラとの共演による本選で演奏。翌23日豸に表彰式と入賞者演奏が行われる。


10月5号

 住宅メーカーの㈱日進堂(高松市伏石町2037-18 喜久山知哉社長)は、西讃エリアの販売サービス拠点として「みとよ支店」(三豊市高瀬町下勝間2488-1 山下 真支店長)を9月14日付けで開設した。
 「みとよ支店」は、高瀬町内国道11号線沿い、マルナカ高瀬店西側の道路を北に入ったところに立地しており、外壁上部には会社のイメージカラーであるオレンジで統一した大型看板が目立つ。
 同社は、かねてから中西讃エリアにおける分譲住宅・注文住宅展開を進めており、販売拠点として平成21年に丸亀支店を開設。翌22年には、ショールーム「住まいの図書館 丸亀」を設置稼働している。
 その後、中西讃全域は丸亀支店で管轄していたが、観音寺市、多度津町エリアで分譲地が増えたこともあり、同社は三豊市に新たな拠点を設けることを企図、今回実現したもの。
 「みとよ支店」の店内の広さは約12坪。スタッフは山下支店長以下4名体制で運営にあたっている。なお山下支店長は丸亀支店長と兼務となる。


9月15号

 高松・丸亀町商店街にあって、大正15年に竣工し、国登録有形文化財として指定されている建物と言えば百十四銀行高松支店(高松市丸亀町15-7 善勝光一支店長)があげられる。
 昭和20年7月の高松大空襲においても役職員の決死の消火活動により耐え抜き、焼け残った数少ない建物として、同行に語り継がれている。
 丸亀町商店街にあるこの地は同行の創業の地であり、昭和41年まで本店があった地で同行行員にとって原点回帰の場所でもある。高松支店の南西の角地にはモニュメントが建てられ今も燦然と輝いている。大正時代、建物の建設は清水建設大阪支店(当時 清水組)が担当し鉄筋コンクリート造り2階建ての堅固荘重な造りに仕上げた。後に3階部分を増築、その後何回かの改修を加えながら今日に至った経緯がある。
 ところが築後80年以上を経た平成21年に耐震性の不足を指摘された。しかし同行はこの歴史遺産に匹敵する建物を壊さず後々まで残すこととした。外観と室内の一部は建築当時のまま保存することを決め、2年後の平成23年3月から耐震補強工事が本格にスタートした。