ホーム香川のキーパーソン

香川のキーパーソン

【坂出商工会議所】 会頭 新谷五十雄氏

39年の商議所活動の集大成
会員・坂出の発展に全力を捧げる

 「39年にわたる商議所活動の集大成として、会頭職を拝命した。会員のため、そして坂出の発展のために全力を尽くしたい」
 六期18年を務めた榊 久雪前会頭の下、副会頭として12年間学んだことは何よりの羅針盤となる。
 重点課題の一つである「坂出北インターチェンジのフルインター化(四国方面への出入口化)」は、物流・防災・観光における坂出・中讃地域の拠点性を高めるために不可欠の、会員・市民の悲願である。それだけに、市・県とともに成し遂げたいと語る。
 他にも、定住人口の増加、重点港湾坂出港の貨物量増、商店街の活性化など多くの課題に取り組む。そこで発揮されるのが、新谷カラーだ。
 「名称通り、会議所は会議をする場だ。課題毎に委員会を設け、役職に関係なく全議員が活発に議論できる円卓会議を実施し、意見形成をする。そして政策提言を行っていく」


【㈱COCOLO TOKIO】 代表取締役社長 開出 昭氏

業績は上々。その答えは社員にも徹底する「経営理念」にあった

 高松商業高校を卒業後、上京し国士舘大学政治経済学部に進学。卒業後は地元に貢献したいという思いが強まり、迷うことなく香川県へのUターンを決めた。
 はじめての就職先は地元の菓子問屋。営業職として約8年間研鑽を積み、高校時代の先輩が経営する企画会社へ転職。主に製薬会社の特許商品を全国各地に売り込むため、日本全国を寝る間も惜しんで、ひたすら走り回っていた。そんな氏が40歳になる頃、人生の転換期を迎えた。
 知人からの紹介が縁となり、香川県内で外食産業を企画・運営するぐり~ん企画に入社した。「新規事業立ち上げを計画している。片腕となって力を貸してほしい」との話。同社が今まさに保険代理業を始めようとしている時の出会いだった。
スタッフは3~4人でのスタート。保険の営業は初めてで、今までの商材より責任も重大。とにかく、当時の社長に鍛えられたという。


【㈱イズミ】 支配人 小島隆一氏

“食”の充実は最重要課題、中長期的なゾーンの見直しにも意欲

 闘志を全面的にむき出しにするタイプではないが、淡々とした語り口の中にも緻密な計画性と、内に秘めたる熱い思いを感じ取ることができた。
イズミの中でも旗艦店として、堂々たる航行を続けるゆめタウン高松。その支配人就任に燃えない要素はない。
 衝撃的な開店から17年。積極果敢なリニューアルで新鮮さの訴求に余念はないが、イオンモール岡山のオープンや、ことでん瓦町ビルの動向など気に掛かる要素も多く、「身の引き締まる思い」と辞令直後の心境を吐露する。
 前任地のゆめタウン出雲のリニューアルが道半ばだったことが心残りではあるが、「地域密着を徹底し、香川のお客様に喜ばれる店づくりに全力を尽くしたい」と、高松での完全燃焼を誓って瀬戸内海を渡った。


【㈱オオタケ】 代表取締役社長 大竹哲朗氏

人に喜んでもらうことが、結果として自分の喜びに

 先代(哲也氏)は“発破の哲ちゃん”と言われるなど、“オオタケ=火薬”というイメージを持つ人も多いが、創業時からの火薬部門も堅調に維持しつつ、建設用工具を扱う日本ヒルティの岡山・四国地区総代理店としても大きな成果を挙げている。
 火薬部門は発破パターンや振動測定といった技術提供で付加価値を高め、四国はもとより国内屈指の存在感を確立。売上の約70%を占める「HILTI」も、国内に10社ある代理店の中ではダントツの実績で、本部のあるリヒテンシュタインにもたびたび招かれて表彰を受けるという快挙も成し遂げている。
 鋲打機やハンマードリル、アンカーなど建築、土木の現場で使用されるトータルファスニングシステムと呼ばれる工具、材料を提供。登録は三万社、年間取引は七千社にも及ぶという。「経済も明るい兆しが見えており、主力の建築工事に加え、橋梁の下部工事など土木の分野も増えてくるだろう」と明るい見通しに期待感。


【サンコー㈱】 代表取締役社長 河野伸之氏

企業の存在価値は継続し続けることです

 会社の創業は昭和36年。今では全国に15営業拠点、さらに中国、シンガポールなど海外にも販売拠点を持つ産業用ネジの総合商社として確固たる基盤を築き上げた。
 大学を卒業し勤めた先は、神戸にある百十四銀行旧湊川支店。その5年後にはホームセンターを運営する業界大手の島忠に入社し、2年間みっちり学んだ。
 郷里に帰ってきたのは平成10年のことだ。当時、会社はホームセンターを県内で手広く運営しており、前職で得た知識を実践に生かした。
 5年後に本社に戻ったあと、新たな配置先となったのがユニット部である。ここではネジやプレス品、樹脂成形品などを組み立て納品する現場作業に取組んだ。